「責任」を持つということ。

テーマ:生き方
おはようございます!BAISOKUの吉沢です。

韓国の旅客船沈没事故からもうすぐ2週間になろうとしています。

命を落とされたかたのご冥福をお祈りするとともに、
行方不明の方々の一刻も早い発見を心からお祈りします。

この事故にともなって、さまざまな問題が浮上してきていますが、
やはり、私がいちばん強く問題だと思うのは
船長が乗員乗客より先に船をあきらめて脱出してしまったことと思います。

もちろん、命がかかっていることですから、
引き換えに船に残れ、とは言えないかも知れませんが、
船長としての責任を放り投げて脱出した、との責は否めません。

飛行機に例えれば、パイロットが乗客をのこして自分だけ
パラシュートで脱出するようなものです。

他人のことを言ってもしかたがないので、自分の身を省みてみます。

企業の長として、また、家族の長として、
私には「殿(しんがり)」を勤める責任があります。

船にたとえると、企業であり、家庭という「船」で、世間という荒波に
使命を遂行するために、漕ぎ出しているのです。

乗客の人生を預かっているのは私です。
乗員乗客をまもり、任務を全うする、その全責任は
船長である私にあります。

順風満帆な日ばかりではないでしょう。
嵐の日もあるかもしれません。
セウォル号のように不慮の事故に見舞われることもあるかもしれません。

その時に、最後まで持てる力を振り絞って、
船の乗員の力を結集して難局を乗り切る。

いついかなる時でも、私は最後まで船をあきらめることなく、
進んでいく覚悟です!

◆今日の一言

気骨

骨に気を載せると気骨になる。気骨がない人はどうにもならない。
気骨のない人間は、機械的なことはできるが、
責任を持ってやらなければならない非常の時には、役に立たない。
骨力とか気骨は人間の根本的要素で、人格の第一次的要素である。

安岡正篤